2017年9月21日木曜日

「ギター!?なんか弾いてみて!」という初心者殺しのキラークエスチョン







たとえば女の子が部屋に来たとして、部屋の片隅にある"それ"を見つける。そして、


ギターやるの!?なんか弾いてみて!


と云われたら、この世界の片隅で僕は何を思えばいいんだろう、僕は何を弾けば良いのだろう。

そんなことについてダラダラと書いていきたい。



さらっと弾けたらカッコイイのに




そもそもギターがあるからといって、弾けるとは限らないではないか。

うん。あれは眺めながら酒を飲むために飾ってるんだ、なんて言えるだろうか。いや言えない(反語)
そもそも部屋に呼んだ時点でギターどころではないのではないか。

そもそも全く弾けない、というわけではない。それなりなら数曲は弾ける(巧くとは言っていない)

ただし、その曲を「弾いてみて」と言った相手が知っているかどうかと云われれば、絶妙にリアクションに困るような曲しか覚えていないのだ。

たとえばさらっとネタ的にマリオやらトトロやらを弾けたら無難にやりすごせるだろう。
要するに「みんな知っている曲」を弾くことだ。

だって僕ほとんどポルノとかしか弾けないよ。しかも一番知名度ある"サウダージ"だってギターフレーズとしては「あ!これサウダージ!」となるほど判りやすいフレーズはない。

あ、ここまで書いて気付いた「PANORAMA×42」ツアーの時みたくサビのフレーズをさらっと弾けばいいのか。


結構こういう「さらっ」と弾けるフレーズがなかったりする。

ということでもう一つなかなかに困ってしまうのが「試奏」である。










試奏=ある程度弾けるみたいな風潮




試奏するときの謎のプレッシャーは何なのだろう。

分かってるんだ。誰一人僕になんて興味なんてないことは。

僕のような自意識過剰&被害妄想ギタリストはたくさんいるはずである。いてくれ。

本当に初心者であれば店員さんに全て身を委ねていれば良いのである意味楽なのである。
だが中途半端にそこそこ経験のある僕は、手に持った瞬間に「何弾こう」と頭がホワイトアウトしてしまう。

部屋だと適当に弾いてればいいんだけどね。しっかりツケは回ってくる。

いっそ試奏は完全防音の個室とかにしてくれりゃいいのに。


たとえば僕が女子高生~女子大生くらいの女の子であれば「えー何弾いたらいいか分からない☆(ゝω・)vキャピ」といえば、たぶん店員が弾き方からLINEの連絡先から何から何まで教えてくれるだろう。

我ながら書いてて気持ち悪くなってきたのでこれ以上はやめておく。


かつてシド・ヴィシャスが言った。


ただコード弾いてブーンって鳴って、そしたら音楽だ。


もういっそ試奏は「ブーン」の音だけで判別してはダメでしょうか。ダメですね。


「いつも弾いてるフレーズをそのまま弾けばいいんだよ」

とは分かってるんだけど。


なぜ人は簡単なこともできなくなってしまうのだろう。


人はなぜ争い続けるのだろう。


ブーン







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2017年9月20日水曜日

【考察】人はなぜギターを買った矢先に次のギターのことを考えてしまうのか




ギターを買った時に、

「なんて素晴らしい買い物をしたんだ!もうこれさえあれば俺は無敵だ! 」

と思うことはないだろうか。

もしくは。

「憧れのギターをようやく手に入れたぜ、ヒャッハー! 」

という気持ちである。

ところが数年後、或いは数か月後、或いは翌日、万が一には数分後「あーあのギター欲しい」と思ってしまう心理。今回そんな心理について本気出して考えてみたい。



限りなき欲望




端的に言ってしまえばギターが可愛いからだ。

「メーカーもサイズも形も素材も違うから音が違うんだよ!」とは言う、一応。

でも身も蓋もないことを言ってしまえば、90%はルックスが良いかどうかなのである。だって例え音が良くても見た目が(個人の主観として)ダサいギターであれば持ちたくはならないだろう。

そして、世にはあまりにも魅力的なルックスのギターが溢れ過ぎている。

一本買ったら次が欲しくなるということではなく、随時100本くらいは欲しいギターがある中で予算や出会いなどで優先順位をつけているだけではないだろうか。

Mr.Childrenの"GIFT"という名曲。その中でこんなフレーズがある。


地平線の先に辿り着いても 新しい地平線が広がるだけ


同じである。まさに終わりなき旅だ。

無論、音の違いも間違いなくある。
ストラトの年代ごとの音の特性を聞き分けるなんて芸当はできないが、ピックアップの音色の違いは判りやすいだろう。

それでもジミー・ペイジがテレキャスターで弾いた曲をレスポールと間違えている人がかつて多数いたように、人間の耳など所詮はそんなものなのだ。

なのでルックスはギタリストにとってモチベーションを上げるためには重要な要素なのである。


何が近いかなと思ったときに女性でいえばバッグや財布をたくさん買ってしまう心理に近いのではと思った。

なので、調べてみると。


カバンを沢山買ってしまう人の心理とは。なぜ一杯あるのにまたバッグを買うのか

この記事の中で、

1.ファッションに合わせてバッグも変えたい2.飽きっぽい性格3.カバンを多く持つことでステイタスを求めている4.ジャストサイズのカバンにこだわる5.理想のカバンに出会えていないバッグの使い方は恋人への扱いに似ている

と項目があるが、ギターに置き換えても違和感ないものがかなりないだろうか。










それでもちゃんと使い分けてる




ルックスで揃えてるだけではないということはあらためて明記しておきたい。

元来僕は好きアーティストがバラけすぎているのだ。その中で何でもありというポルノグラフィティ新藤晴一というギタリストに心酔してしまった時点で後戻りはできないのだ。

レスポール、テレキャスター、時にはストラトや335、その他多数。とても一本でカバーしきれる訳がない。

というかそんな中で新藤さん家の方はどんどん買い増ししていくんだもの。


結果的に僕も家には"それなりの"本数のギターが備わることとなった。

もちろん送られてきた曲にギター入れたりといったこともしているので、ちゃんと使い分けはしているつもりである。

だが、もしこれからどうしてもガットギターの音を使いたいとしたらどうする。
もちろん家にはない。となると、買うしかないではないか。

ということで僕はいま、猛烈にエレガットが欲しい。


新藤晴一使用機材~エレガットGibson Chet Atkins CEC編


上に書いた通り聴いた人間が判別できるとは限らない。
だが独りよがりの達成感を得るためにはその音が必要なのだ。




120本の欲求








斉藤和義の弾き語りライヴを見た。
CSで放映されたものだが、その中でインタビューもあって「ギターは何本くらい持ってるんですか」という質問。

「何本ですかねぇ」と言いつつ「120本くらいあるかもしれませんね。持ってる人はもっと持ってますが」という回答。

「今回の(弾き語り)ライヴでもステージ上にたくさん並んでましたが」という質問に、「まぁチューニングが違ったり、カポ付けたり、あとは音色も違いますしね」と答えつつ言葉を続けた。

「でもやっぱり見せびらかしたいんですよね。実際二本くらいあればなんとか事足りるので」

これだ。これこそがギタリストの本質なのだ。

僕は以前ジョン・メイヤーがやたらとストラトを何本も使い分けるのは「自慢のためだ」とどこかで書いたけど、そうでしかあり得ないほど本数を使っている。


ギタリストがなぜライヴ中にギターを持ち替えるのか


「弾くというよりも、ギターを眺めてるのが好きなんですよね」と斉藤和義は言った。
とにかく頷くしかない。

そう。先にも書いた通りギターを買うときは大抵ルックスが主で手に入れる。なのでギターは眺めているだけで楽しいのだ。可愛いのだ。ギター眺めながら酒が飲めるほど。


はい。長々書いてきたが、この記事を一行に要約しよう。


「自己満足だこのヤロウ」


以上。考察という名の言い訳コーナーでした。








【関連記事】

「ギターとはワインである」 ~ギターの"良い音"論争に終止符を
ギターは金融資産になりうるのか ローズウッド輸出入問題










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2017年9月19日火曜日

(再掲)知ってる?アーティストが突然ソロ活動を始める理由







バンド好きをやっていて、ある日突然メンバーの◯◯のソロプロジェクト始動!みたいなニュースを見たことはないだろうか。

特に、ある程度メジャーどころのアーティストにその傾向が強く見られる。

今回はなんでアーティストは突然ソロプロジェクトを始めるのか、その理由について書いてみたいと思う。

後半で晴一さんとTHE 野党の活動についても触れているので、THE野党の活動について思うことのあるポルノファンの方は是非目を通していただけるとありがたい。










自由な音楽制作



ソロ活動を始める動機としてはこれが一番ではないだろうか。

メジャーアーティストになるほど、そのアーティスト名はブランドとして確立される。

そうなってくると、もはやバンドはメンバーだけのものではなくなり、レコード会社やプロデューサーなど全てひっくるめた「プロジェクト」となる。
特にメジャーレーベルのアーティストに関しては規模が膨大となり、社を上げたプロジェクトともいえる。


響きはよくはないが、アーティストを売り出すにはそれなりの投資が必要で、ブランドイメージをある程度維持していくには、それだけ手間と費用がかかる。

アーティストの人気が上がるほど母体は増大し、バンドの意思決定だけで軽々動かせる存在ではなくなってしまう。
バンドマンといえば自由奔放というイメージだけど、新しいことに挑戦したいというミュージシャンには窮屈な部分もあるのではないだろうか。


云わばシャネルのブランドの新作を制作しているのにデザイナーが俺今度はシャネルで安全靴出したいんだと言うみたいな。
稀にそういうトリッキーなことをしてしまうケースも多々あるけど、大方新しい方向性を見出だして行くのは有名になるほど難しくなる。

そんな挑戦を繰り広げていくタイプのブランドもあるけど。


そこでアーティストはソロとして活動を始めるのだ。

ソロ活動にすることで、バンド(アーティスト)というブランドし縛られない自由の利く活動ができる。
自分のソロプロジェクトであるから、ある程度のことまでは自分でコントロールできるようになる。その分責任も増すことにはないるが。

もちろんソロ活動としてお薬に手を出したりしてしまっては本業にも影響(損失)を与えてしまうことにもなる。


ソロ活動ということではないが、細美武士は the HIATUSとMONOEYESを掛け持ちしていたり、楽曲スタイルによってバンドを使い分けるといった活動もそうした理由からきているのだろう。エルレ再結成してくれ。



セールス面でのプレッシャーがなくなる




似た理由になるが、これもリリースする側のアーティストにとっては重要な話題だ。


ポルノグラフィティで例える。

ポルノは晴一さんは THE 野党としても活動している。

これはまさに、ポルノグラフィティという巨大プロジェクトから外れ、自由な音楽制作ができるということからスタートしたプロジェクトである。


以前インタビューでも「ポルノは自分たちだけのものではない大きなプロジェクトだ」と言っていたことが何回かある。


よく話題に出る曲出し会議などもその一環だよね。


ポルノグラフィティという名前で出す以上、それなりに費用をかけたプロモーションがあり、それに見合うある程度の結果が期待される。


なので、曲をリリースするということについても「セールス」というプレッシャーがついて回る。晴一さんがインタビューで「シングルは数字に結果が出るので緊張する」という旨の発言をしている。


逆にアルバム曲はシングルに比べれば自由が利くので作ってて楽しいとも言っている。


そうしたプレッシャーにとらわれず音楽制作をするためにソロプロジェクトを始める要因になる。

THE 野党の活動始める時ファンからはあれやこれや言われていたが、結果的にポルノでの音楽性も広がった気がするし、ポルノとしての活動を止めずに続けてるしね。


むしろ僕は晴一さんのセールス面に触れる話題などからも、そのプレッシャーの大きさを感じるので、そのプレッシャーを発散させるのにも、僕はTHE 野党の活動していくことは悪くないと思っている。


たとえば受験をしたことのある方は一年間試験が終わるまでずっと心が落ち着かない気持ちにならなかっただろうか?

結果を求められるということはそういうことだ。それを17年間続けてきたとしたら、人間は憔悴して疲れきってしまう。

この世でどれだけのバンドが消えて行ったか想像するのは簡単だろう。


だからこそ息抜きになる時間を作ることで、逆にいざ集中という時には、さらに集中した活動ができると思う。


岡野さん?彼は釣りがソロプロジェクトです



まとめ




ということでアーティストがある日突然ソロプロジェクトを始める理由について書いた。

上の中でプロジェクトに触れたが、こう書いてしまうと悪く見えてしまったかもしれないが、それだけ多くの人がアーティストを売りだそうと真剣に話し合っているということだ。
その中から生まれた素晴らしい音楽もたくさんある。

実際には様々なパターンがあるのだが、少なくともポルノチームは良いものを世に出そうという議論に基づいていると思う。

一辺倒に批判せず、好きなアーティストであればこそ応援してあげて欲しい。

まぁ、世の中にはソロプロジェクトのはずが、最もソロ活動を楽しみすぎてそれが本業になってしまったアーティストもたくさんいるが。









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2017年9月18日月曜日

新藤晴一のカフェイン11レポ 2017.9.11放送分 インスタ映えするとは






※赤字が自分の感想です


ポルノグラフィティ新藤晴一のカフェイン11レポ 2017.9.11放送分



オープニングトーク




タバコの話。

アミューズの事務所などでも喫煙スペースが決まってきたりしている。

本来タバコはものを書いたりする時などに手持ち無沙汰を解消したり、息抜きに使う。
なので、タバコのロマンがなくなってきている(嫌煙家の人には怒られるだろうけど)。

食事などは煙がない方がいいけど、ロマンはなくなってきた。更に最近は電子タバコが出てきて、グローというものは細いタバコを箱に差し込んで吸うので見た目がブリックパックから飲んでるみたいになる。

以上、何回か禁煙に失敗したギタリストからでした。


新曲は無事にリリースされた月曜深夜。

晴一さんは誕生日間近。上京して20年経ってもまだ我が街という気持ちにならない。
たとえば近所の病院で最期を迎えたいかと云われるとそうは思えなくて、どうせなら因島の病院でおしゃべりな看護師さんに看取られたい。


1曲目"キング&クイーン"



信長の野望



大人になってきたと思う事。

真っ先に思うことが「ドラクエが最後までできないこと」。しょうもない先読みをしてしまって少年の時の気持ちで最後までできない。
そんな中、信長の野望とゼルダは飽きずにやっている。

ゲーム最後までやる気力は確かにないなぁ確かに。

かつて初めてやったとき晴一さんの性格上、信長の野望で信長を真っ先に選ぶことはない。
長宗我部元親を最初に選んだ。

まず四国を統一していくときに、長宗我部元親は知略がとりわけ良かった。
隣の将軍がアホだったので、すぐに暗殺できた。将軍のいなくなった城は"入札"するシステムだった。

最近またやった時に"人口"というシステムが増えた。四国を統一していって、関東などに行くと人口が違いすぎて兵隊の数が違いすぎる。
なので田舎侍は全く敵わない。

信長は力を持っているので、江戸とかからとんでもない兵力を揃えてきた。

今はプロモーションや趣味のレコーディングが忙しいので、今はスイッチをマネージャーに預けている。


2曲目"光の矢"


UFOキャッチャー





コーナー:心のひとりごと。キツイッター

メール:広島行きの夜行バスを乗り過ごした。東京駅なのに間違えて新宿に行ってしまった。なので翌朝格安航空を取った。広島戦を見に行きます。

晴一:この翌日だと広島勝ったね。
松田スタジアムとかそうだけど、最近は家族とか女性とかにも来てくれるようになってきてるよね。



メール;某アニメキャラのフィギュアを3400円かけて取ったら、同じ日に妹が200円で取ってきた。

晴一:UFOキャッチャーって取れる?あんまり情熱をかけてやったことがないけれど。

今浪:上手い人曰く1回で取ろうとするのは間違いで、1回でずらしたりしていく。

晴一:なるほどね。でもやろうと思えんな。今UFOキャッチャー多いよね。一昔前は音ゲーが流行ってたけど。
ビックリするくらいデカいぬいぐるみとかあるじゃん、あれ貰っても困るよね。

でも、あれだよ君のが高級ということだよ。


まさに昨日アイアンマンのフィギュア取れなかったなぁ。


3曲目"夕陽の色"

昭仁のタイトルは「〜の〜」みたいなタイトル多くない?って話してたら俺の方が全然多かった。

単純に曲数の差もあるかと。










UFOキャッチャー




最近はインスタ映えなどで、食べる前に撮影することが多くなってる。

俺も、地方行ったときとか撮るよ。


旅行とか行ったら撮るよね。僕はアホだから撮らないと食べたもの忘れる。


テレビの情報だけど最近はインスタのために海に行くとかプールに行くとかが目的になってきているみたいだもんね。
この辺を言及していくと時代とずれていっている感覚になる。

もちろん面白いものだったらいいと思う。Twitterでもずっとカレー食べてる人(NAOTOさんではない)とか「あ、またカレー食べてるな」と思えるけど、1回パクチー丼食べたって云われても、面白くないじゃん。


たとえば海に行きましたはいいけど、何が楽しかったとかそういうの訊きたいじゃん。でも写真だけあってもね。
背の高いパフェであっても、それを作った人の目的とかインタビューしたりしたら面白いよね。

だからインスタでもそこの文章にこだわったら更に写真が引き立つだろうね。

写真撮る事が目的なのはやっぱりどうなんだろうなぁという方だなぁ自分も。




コーナー:心に残っているアニソン

メール:私の心に残っているのはドラゴンボールです。昔は作詞作曲とか見なかったけど、ポルノ経由で森雪之丞さんを知って、それからドラゴンボールの曲をやっていたことを知った。

晴一:やっぱりそうやってずっと人の心に残っていくことって、喜びだよね。
だからドラゴンボールみたいなみんな知っていることになっているというのは、さすが森雪之丞さんだなと。

最近"メリッサ"とか云われるけど、あれもアニソンなの?

今浪:最近は、そうですね。

晴一:じゃあポルノの単品として聴いても成り立つように書いたけど、アニソンとしてなら「鋼の錬金術師」って書けば良かったなあ。


4曲目"Montage"






では今週も閉店です。










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2017年9月17日日曜日

星野源の好きな歌詞をピックアップして語り倒していいでしょうか







星野源の曲は日常を歌う。

ここ最近は歌詞に意味やメッセージを込めることを減らしてきてはいるが、それでも日々の延長線に活きている歌詞なのだ。

これほど淡々と生活を歌うアーティストは、実はそんなにいないのではないだろうか。

ということで、ここであらためて星野源の歌詞世界を見つめ直してみたい。








いつかなにも 覚えていなくなるように
飯を食べて 幸せだなどとほざくだろう


"キッチン"



いなくなった相手、そして取り残された者。
まるで時が止まってしまったような時間であるが、決して時間が止まることはない。

たとえ今がどんなに辛くとも時は進む。そしていつかそれすらも忘れて飯を食べる時がくる。それこそが人生なのだ。

実は限りなく人物像を曲中で描いていなくて、年齢も性別も示すものはない。それでもそこに描かれている生活の後で漠然と関係性や映像が浮かび上がるというバランス感覚が絶妙である。

そして、このバランス感覚があるからこそ、普遍的に人の心へ響く曲となっている。



おじいさんは 歩いてゆく
おばあさんの 好きな場所


"老夫婦"


1stアルバム「ばかのうた」と2ndアルバム「エピソード」ではが時折顔を見せる。

生まれて来なかった兄妹や、焼き場の話、お墓参りの歌。

詞の世界において死を扱うことはとても尊いものとされる風潮がある。もちろん命を扱うのだから当然そうなることはおかしくない。

しかしながら星野源の歌う死は生活の延長に続く、ある種、誰しもに必ずやってくるものなのに見て見ぬ振りをしているものである。

間違いなく生活の一部として続くことである。










寂しいのは生きていても
ああ 死んでいても
同じことさその手貸して
まだ歩けるか


"知らない"






この曲が発表されて、初めて聴いたとき、星野源にとってとても重要な一曲になると感じた。
何に対してかは分からないが、これをシングルとしてリリースできることへの強みを感じた。

"あるショックな出来事"を歌詞にしたものが"知らない"の詞となったという。シングルの初回限定版DVDで歌詞を生み出すことに苦悩する姿が映っている。
あくまでもフィクションの中で描かれてきた死がここで現実として向き合うものとなった。ここで初期の星野源が持っていた死生感が極まったと思えたのだ。

真っ向から死と向き合った描かれた言葉、それでも生活に根付いている言葉であった。たとえその人が死にいなくなったとしても、残すものはある、そして残された者の生活は続いていく。







何度も何度もなぜ うずくまる
何度も何度も見た 頬の雨がある
何度も何度も言うよ 始めから
たった一つだけを君は持っている


"未来"



僕が星野源の曲で一番好きな曲はなんだろうと考えると"フィルム"か"知らない"か、もしくは"未来"である。どれが一番好きかは聴く時々によって変化はするが、この3曲は特別である。

"未来"は東日本の震災後初めて書いた曲だという。
先の"キッチン"のように、どんなに辛いことがあっても、今日は終わり未来(明日)は生まれる。

"たった一つだけ"とは何だろうとずっと考えていた。
考えて行き着いたのは"命"であった。



日々は動き 今が生まれる
暗い部屋でも 進む進む
僕はそこでずっと歌っているさ
へたな声を上げて


"日常"






星野源の描く日常について見てきたが、最後にまさに"日常"をタイトルに冠した曲で終わりたい。

ここまで何曲かピックアップしてきたが。どれしもに書いたが"それでも日常は続く"というものが星野源の歌詞には宿っている。

よく音楽は日常を彩るものとされる。音楽を信じている人間にはあたかもそれが魔法のように。
だが、星野源の曲にはある意味魔法は宿っていない。逆説的だが、だからこそ特別なのではないだろうか。

日々に歌は寄り添っている。日々はそれでも続いていく。

明日はまた生まれる。






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