2017年1月21日土曜日

戦場以上のストレス、満員電車のイライラを増長させるモンスターたち






八王子に住んでいて、都内へ通勤で通っている。

中央線を使っているが、もちろん行きも帰りも満員電車である。

7年使用してるが、満員電車のストレスはなかなかのものがある。

本気であれは寿命縮める場所だ。


こんな記事も



恐ろしい。

そんな満員電車の中、僕は行きは座ってることも多い。始発駅近いから。
それにしても、サラリーマンたちはほとんどの人が寝ている。

行き帰り往復1時間半〜2時間、週5、月20日、40年としたら途方もない時間になる。


そんな僕は電車では主にブログの記事を書いたり、本を読んだり、トイレを我慢したりしている。


というのを「時間無駄にしてるなぁ。フリーランスになれば〜」なんて語る気はさらさらない。高知に帰ってくれ。


でも、この時間を寝て過ごすのは勿体ないなぁと思ってしまう。まぁ僕がブログ記事の下書きしていたところでそれが何かに役立つかと言われたらそれまでだが。


本題までに迷子になりそうなので、本題へ。とにかく満員電車にはストレスがつきもの。

それなのに世の中にはさらにそのストレスを倍増させるような人がいるだ。

僕が7年間で出逢ったモンスターたち3人を紹介しよう。








順番抜かしババア



みんな律儀なくらいピッチリとホームで待っている。電車が来て、ドアが開く時は乗る人は脇に避けるじゃないですか。

それなのに、どことなく現れて突然列の先頭に食い込むババア。並べ。

そして、大抵そのババアは社内の人が降りきらないうちにグイグイ押し入る。バーゲンじゃねぇよここは。


それだけパワフルな姿を見せておきながら、席の前に立つと枯れ果てたような姿に。もうこの世の何もかもが信じられない。

この世に救いなんて何もないのだ。

ちなみにこの手の輩は1人じゃなくてしばしば色んな亜種になって遭遇する。



横から身体を割り込ませて意地でも座るババア







僕ではないですが、見かけたもの。

基本的に電車って座ってる人が降りると、その正面の人が座るって暗黙のルールがあるじゃないですか。

ある日、席の前で僕・OLさん・ババア(中年)の順で立ってたんですよ。それでOLさんの前に座ってた人が降りた。OLさんは当然座ろうとする。

が、そのババアはOLさんの前にスクリーンアウト。

ゴリかよテメーは。いや、まぁ限りなくゴリラみたいなババアだったが。

OLさんから席をインターセプトしたババアは満足そうに寝やがった。



『席譲ってくれてありがとう』



ある日の帰宅路、つり革を掴んでいた。

隣にはつり皮にもたれているサラリーマン。そしてその横にはババア2人組。

ある駅でサラリーマンとババア1人の前の席が空いた。サラリーマンはため息をついて座る。ババア1も座る。ババア2は立っているので、1と2が座りと立ちでべちゃくちゃ喋っていた。サラリーマンに目配せしながら。サラリーマンは気を遣ってババア2に席を譲った。

「あら、ありがとうございます」なんて口では一応言いつつドカッと座る。

これ以上「ドカッと」という比喩がピタリと当てはまることは今後ないかもしれない。


そして1と2は今日の美味しかったランチや遊んできたことを、音楽を聴いてたはずの僕にすら聴こえるくらいの声で話出した。

疲れてるのに席譲ったサラリーマンが居たたまれない。帰って早く休んで欲しい。

頭の中でずっとミスチルの"雨のち晴れ"が流れてた。


いかがだろうか。

もしかしたら、こんなモンスターに苦しめられた経験がある人多いんじゃないだろうか。

ただでさえストレスが乗車率とともに上がる中さらにストレス感じたくないものである。

サラリーマンたちよ、この先も満員電車という戦場で共に頑張ろう。








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2017年1月19日木曜日

【疑問昔話】浦島太郎の教訓は、ロミオとジュリエットを超えたラブストーリー





前回『桃太郎』の疑問を書いた際に「次は浦島太郎」と書いた。

僕のブログを読んだ人なら分かるかもしれないが、僕は大抵そう書いたまま丸投げしている機会が多い。
ほとんどの場合は単純にそんなことを書いたことも忘れているからである。


しかし今回はたまたま思い出したので書くことにしよう。そして調べてみると僕は『浦島太郎』という物語を間違って受け取っていたと判明した。


僕の中ではバッドエンドだと思っていたばすの物語が本当はハッピーエンドだったのである。










浦島太郎のバッドエンドおち



『浦島太郎』といえば、



いじめられてる亀を助ける

→お礼に竜宮城に連れてかれる

→乙姫さんにメロメロにたりうつつを抜かす→帰り際に玉手箱を持たされる

→陸に戻ると実はとんでもない時間が経っていた

絶望して禁断の玉手箱を開けると眩しき光と共に封印されていた"古の時"の波動でウラシマは悠久の時を経てその姿を変容してしまう


くらいなもんですね。

子ども心に疑問だったのが、この話から何を学べばいいのだろう、ということであった。

亀を助けたはずのウラシマ、じゃなかった浦島があまりにも可哀想ではないかと。


おそらく教訓を得るようなお話ではないのだが、子ども向けの作品として桃太郎と二大巨頭を張っているのだから何らかの意味がきっとあるはずである。


そう思っていて過ごしていたが、世の中にはそうそういじめられてる亀を助ける機会など早々ないので忘れていた。
いや、亀などレースの最中ハンデとして寝て待っている可愛いうさぎさんを起こさず勝利をもぎ取るような鬼畜なので、うさぎ好きの僕は亀など助けぬ。


とにかく。『浦島太郎』にはきっともっと(「きっともっと」ってお弁当やみたいだな)深い意味があるはずだと思って考えていた。

最近は「闇金ウシジマくん」のドラマの再放送見すぎて「亀はキャッチ、竜宮城は…の隠喩説」まで考えたけど、さすがに子ども向けじゃない。


考えても埒があかないので、ググることにした。
色々調べていくと、とても興味深いことが分かった。

浦島太郎は、実はおじいさんになっただけではなかったのだ。


浦島太郎は、になったのだ。



神となった浦島太郎




上の中二病を引きずっているわけではない。元々の物語がそういう結末なのだ。

本来の話だと、まず亀はいじめられてない。

浦島太郎は漁師であり、釣りの最中で亀を釣ってしまうのだ。良かった、いじめっ子なんていなかったんだね。

優しい浦島は亀は万年生きるからと放してやる(というか漁師だから亀以外は助けるどころか他の魚を乱獲しているのはいいのか?竜宮城に鯛とかいたろ)
そこから多少違うにしても乙姫さまにメロメロになりうつつを抜かして玉手箱を受けとるまでは概ね同じである。


違うのは玉手箱を開けてからだ。


浦島太郎は、になるのだ。


鶴となり飛び立ち蓬莱山で仙人の一員となったのだ。そして、乙姫さまと共に祭られるようになった。

(神と仙人の境目はちょっと微妙であるが、ここでは神と押し通す)



ロミオとジュリエットを越えた身分差の恋




そう、これは浦島と乙姫の恋愛物語なのだ。

そのキーアイテムが玉手箱なのである。これは神と人間という、決して埋まることのない身分差の恋を繋ぐものであったのだ。


当然ながら神と人間が結ばれるわけにはいかない。
ロミオとジュリエットどころの騒ぎではない。


最初は浦島がなかなか陸に帰りたがらなかったのかと思っていたが、実は引き止めていたのは乙姫だったのである。一途である。周りには魚か亀しかいないもんな。


だからこそ乙姫は浦島を鶴(仙人)にしたのだ。
その優しさに免じて、ってかアイツは魚散々捕ってきたんだぞ。いいのか?

ともかく。そうしてようやく2人は結ばれることとなったのだ。


この結末であれば、納得もできないだろうか。


この話は決して因果応報の話ではない、神と人間の究極のラブストーリーだったのだ。


It's a true love


月9ドラマ化決定。


【関連記事】

【疑問昔話】桃太郎のおばあさんはどうやって川から桃を拾い上げたのか















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2017年1月18日水曜日

星野源の実家に迷惑かけて閉店させた奴はファンとは呼ばない





少し前の話題になるが星野源の実家のjazz喫茶が閉店したそうだ。


理由は「聖地」としてファンが殺到したことを起因としている。

「混雑による近隣への配慮のため」とされているが、やはり心ないファンの迷惑行為も少なからず影響していたようだ。


音楽業界に関わらず、有名人にとってはつきまとう問題である。


今回はあくまでも音楽好きから見た目線で書こうと思う。








アーティストの実家問題




気持ちは分かる。

確かに大好きなアーティストのルーツがお店としてあるのならば、行ってみたくなるのがファン心理というものだろう。
それは僕は否定しない。

しかし、結果的に迷惑行為に繋がったのであれば、それはアーティストにとっては迷惑なだけである。


そもそも実家に行くことをあまり良しとしてないアーティストだっているのだ。Mr.Childrenの桜井さんは以前「これ以上実家にファンが行ったら活動を辞める」というような発言をしていたりする。


前に昭仁さんが会報で「実家について、父親も年なのであまり人がたくさん来ると大変だから、なるべく行かないで欲しい」というようなことを書いていた。記憶を頼りに書いたのでニュアンスは少し違うかもしれないが。
とても大人な対応の書き方だし、昭仁さんの性格もあるからとても柔らかく書かれてはいたけど。


一部を除けばアーティストの両親や親戚はあくまでも僕らと同じ一般の人である。それはたとえお店をしていようと変わらない。

だからこそ、配慮が必要ではと思うのだ。
※もちろん一部にはそれを利用している人もいる


因島はもはやポルノグラフィティを観光の一部として売り出しているので、あくまでも実家という点である。


ファンはアーティストの写し鏡




「君たちがいたからやってこれました」


ポルノに限らずこのような発言をライヴなどでアーティストから聞いたことはないだろうか。

ファンはアーティストにとってはなくてはならない存在である。

だからこそ、ファンの行為はアーティストそのものと結びつけられてしまうのだ。



人間というのは単純なものなので、一部の人の印象で全体を決めつけてしまいがちである。


よく云われているが「一部のファンの心ない行いのせいでファン全体が悪く見える」というのはまさにその典型だ。僕がゆとり世代というだけでひとくくりにされるのとも似ている。全くゆとり教育受けてねー。


またミスチルを例に出すと2013年のサマーソニックでMr.Childrenのファンが出番までの間前方エリアでじっと居座る、座り込むいわゆる「地蔵行為」を行った。






この行為は当時だいぶ叩かれていた記憶がある。そして結果的にミスチルの印象を悪くしたのだ。「サマソニ  ミスチル」で調べるとまず先にこの問題が出てくるほどだ。
このように一部のファンの行いが全体の評価を貶めてしまうという事例は本当にたくさんある。これは音楽だけに関わることではない。


星野源の件についてもちゃんと、混んでたら長居しないようにしたり、常連の人に配慮したりしていればもっと違った結果になったかもしれない。
周りを見ればあちこちで起こっているから忘れがちだけど、飲食店って開業するのも閉店するのも当事者にとっては人生のかかった重大な決断なのだ。


あまりに行きすぎた行為はアーティストにとっては迷惑でしかない。

「好きだからこそ」は構わないが、それではストーカーの言い訳と変わらないじゃないか。何をしてもいいという訳では決してない。


チケットの転売の件とかもそうだけど、自分が良ければって考えてばかりはいられない。
ファンがアーティストの支えであるなら、支えがしっかりしなくてはいけないのではないだろうか。

大切なアーティストなら、しっかり迷惑かけず応援してあげませんか。














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2017年1月17日火曜日

ポルノグラフィティ新藤晴一のカフェイン11レポ 2017.1.16放送分 YOSHIKI祭り





今年初めての生放送でした。


ポルノグラフィティ新藤晴一のカフェイン11レポ  2017.1.16放送分



オープニングトーク



寒波の話。

本当に寒いよ東京。


広島では19cm積もったらしい。広島って雪のイメージないもんね。

そんな中晴一さんはベスパ(バイク)を買ったらしい。
可愛いよねベスパ。

「とうとうダウンを買ったが、それでも寒い」


1曲目"ゆきのいろ"



阪神大震災・YOSHIKIとのコラボ話



まさにこれを書いてる今日が20年目の日であった。

晴一さんは防災対策としてあまり準備できてないが発電機を購入したとのこと。
鍋で使いまくってしまっている。

ところで、この人は自分たちのグッズで防サイセットを出したのを忘れている。


バイクの免許の話「吊り橋が難しい」
一本橋のこと?


YOSHIKIとのコラボの話。
ネット放送は地上波のテレビではちょっと緩いし、近い。ポルノはスタジオでやるし、割りかししっかりしている。けどYOSHIKIチャンネルはホテルの部屋を借りたり凄い人数のスタッフがいて緊張したそうだ。


ちらっと見たけど完全にリハなしだったんだね。
とても凄い演奏だった。

「たとえYOSHIKIを知らない人が見てもただ者ではないというオーラが出ている」「会うと『大好きー!』が先に出てしまう」
「"ENDLESS RAIN"はキーを下げた。それは昭仁が低いんじゃなくて、TOSHIさんが高すぎる。キーを1音下げたけどそれでも男としてはとても高い」


晴一さんが花道きてくれるのって昔Xに自分が感動したからこそなんだったんだね。


2曲目"サウダージ"








月刊音話 ザ・ワイド




センター試験の話題から勉強話へ晴一さんは今勉強するとしたら「簿記」を勉強したいそう。
そう晴一さんは言っていたが、簿記を学んでもお金の流れは分からない。


ボン・ジョヴィがオープニングアクトを公募

今そんなことやってたのか。
リッチーいなくなってからすっかり聴かなくなってしまってた。

確かに日本ってオープニングアクト制はないよね。それだけ当人たちを見たい人が集まっているっていうのが大きいけど。


YOSHIKIカーネギーホールに登場

晴一さんマディソン・スクエア・ガーデンでレディオヘッド見た事あるのか!その話の方が気になってしまった。

3曲目Bon Jovi "New Years Day"



心のひとりごと。キツイッター



WBCとゴルフの話。
(この辺の話題が全く分からないので割愛)


心のひとりごと。キツイッター


野球の審判について


サッカーもそうだけど審判によって変わるのは醍醐味かもしれないけど、やっぱり鬱陶しい。



4曲目"THE DAY"











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あの日YUIを見た僕にYUI以上の女性シンガーソングライターは現れない







僕の中の結論であり、この記事で言いたいことの全てである。

後にも先にも僕の中でYUIを越える女性シンガーソングライターは現れない。

結論を書いてしまったのでここからは全て蛇足であるが、結論に至った経緯を話そう。









同世代の言葉




僕ははYUIと同世代である。

YUIが1987年3月生まれで、僕は1987年5月生まれ。
つまり2ヶ月しか違わないが、学年でいうと1つ上の先輩ということになる。

シンガーソングライターというのは、古今東西時代の中で生きる自分自身のことを歌う場合が多い。

そうした中で同世代の言葉というには強い感心を抱く。スポーツや芸能人でも同じ年が活躍してたりすると興味が湧いたりしないだろうか。


ちなみに僕はシャラポワとも同い年だが、それを知った母に交互に見られて溜め息をつかれたことがある。


時代を見る上で世代というのはとても大きなもので、上の世代でも下の世代も自分の目線とは異なってしまう。

1987年生まれというのはゆとり世代の第1世代である。上からはバカにされ、下からもバカにされる。
なので、理解してくれるのは同じ世代しかいないのだ。この世に救いはない。

そんな中で


犠牲にできないのは
こみあげる希望 無くしたら また道に迷うだけ

"My Generation"


尊敬できない大人のアドバイス
アタシはあなたみたいになりたくないと思った

"How Crazy"



と歌っているYUIは当時とてもどうしようもなかった自分にはとても輝いて見えた。
今もどうしようもない。助けて欲しい。


歌詞の言葉の選び方などが個人的にはとても好きなバランス感覚であった。
心情を歌うが日記的な書き方ではなくて(そういう曲もあるが)、ちゃんと詩的な詞になっている。





原風景



YUIは2005年にメジャーデビューした。

12年前である。つまり17歳だ。

彗星のように現れたのだ。文字通り。

デビュー曲"feel my soul"に心を掴まれ、2ndシングル"Tomorrow's way"でもう帰ってこれないところまでハマった。







ちなみに"feel my soul"は2012ver.のビデオがある。






この姿を見て惚れない男がいるだろうか。
僕は音楽に関しては好きになったのが遅いので女性のシンガーソングライターとしてはYUIが初めて好きになったアーティストであった。


CDはもちろん買った。

今はなき渋谷AXに1stツアーを見に行った。

たぶん人生初めてのライブハウス





最高であった。


天使かと思った。


デビュー直後からかなり売れていたが、さらには映画「タイヨウのうた」でまさかの主演・主題歌に抜擢され、一躍時の人にまでなっていた。


自分の中でありとあらゆる原体験や原風景がYUIに詰まっているのだ。

14~17歳で好きになった音楽は一生聴き続ける可能性が高いという。
17歳でYUIの音楽と出逢った僕は、たぶん一生聴いているだろう。歌の上手さががどうこう言ってるやつは一生オペラ聴いてろ。

この儚さのある声だから良いんだろうが!

興奮しすぎて言葉が荒れてきた。すみません。

人間、思い入れというものは理屈で片付けられないほどの力を持っている。



Thank you My teens




"Thank you My teens"という曲がある。

2ndアルバム「CAN'T BUY MY LOVE」に収録されている曲である。






歌詞のテーマは「二十歳」である。


近づいてる10代最後の日までに
やり残したことがまだありそうで焦る


この曲から約10年あともうちょっとで20代最後の日がきてしまうが、未だにこの歌詞に共感している。

僕はいつになったら大人になるのだろうか。当時とは違う意味で泣けてきた。

10代に感謝を歌った曲であるが、まさに同世代ならではの共感をしてしまう歌詞であった。
「分かる分かるー」という安易な共感ではない。本当に心の底からの共感である。すみません気持ち悪くなってきたのでそろそろ締めます。

そんな経験は、もう二度とできないだろう。

だからこそ僕は言いたい。


女性シンガーソングライターはYUIで始まってYUIで終わる、僕の中で。















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2017年1月16日月曜日

アジカン「リライト」歌詞解釈~日付のないカレンダー










このブログでは主にポルノグラフィティとハルカトミユキを中心に歌詞解釈を書いてきたけど、今回はアジカンを取り上げようと思う。

アジカンについては、僕はドンピシャ世代なので昔から毎日ではないにしてもとても聴き込んでいた。
今でも突然アジカン聴きてー!と思い立つ瞬間が定期的に訪れる。

しかし、ずっと歌詞はなんとなくで聴いていたので「ソルファ」の再録盤も出たことだしあらためて見てみようと思った。
ということで今回は収録曲にしてゴッチが「これ以外も聴けや」と苦言を呈した曲"リライト"を取り上げようと思う。

ちなみに僕が一番好きなのは"海岸通り"である。


リライト/ASIAN KUNG-FU GENERATION 歌詞解釈














テーマ




歌詞のテーマは「求めた未来とそれを掴んだ自分の葛藤」である。

自分自身が求めていたはずの未来、しかしそれはとても空虚なものになってしまっていた、そんな後悔を歌っている。

サビで「君を成す原動力」という言葉が出てくる。

この原動力は今主人公がいる場所へ進むための原動力であった。
原動力で突き進んできたはずが、そこは決して満たされない場所であり、自分にとっての限界を知らしめられることになってしまった。

「上には上がいる」とかそういった感情にも近いと思う。


このブログでもちょくちょく書いてきたけど、未来を選ぶ選択肢の中で選ばなかった道の先は決して知る由はない。

だからこそ、主人公は「選ばなかった道」に希望を抱いてしまう。しかし、そこにはもう戻れないし、あの頃にあった意欲ももう失ってしまっている。
だからこそ主人公はただ叫ぶしかない。




去年のカレンダー、日付がないよ




アジカンの歌詞は全体で聴くとなんとなくでもテーマとかは掴めるが、具体的にフレーズを見ていくと分かりづらいことも多い。

"リライト"の中でそんなフレーズが


自意識過剰な僕の窓には
去年のカレンダー、日付がないよ


というフレーズだろう。

まず、窓というものから考えると、窓は世界(社会)と自分との間にあるものだ。社会の窓のことではない。意味が変わる。

窓はとても詩的だからよく使われるよね。

窓を使ったフレーズで個人的に好きなのがハルカトミユキの"絶望ごっこ"に出てくる。


開けておいた窓に普通の陽が差して
綱渡りをやめてしまった君はつまらない


という歌詞である。
これも世界と自分との境界としての窓を歌っている。自分は窓を開いて待っているのに、世界は変わらぬまま何も応えてくれないということだ。


"リライト" に話を戻す。

この歌詞においても窓は自分と世界を仕切っているものである。自分と世界を繋ぎ止めているものともいえる。

そして「去年のカレンダー、日付がないよ」というフレーズ。

日付は主人公にとって何かを成し遂げたことを指している。つまり日付がない=何も成し遂げられていないということだ。

主人公にとっての達成感というものが「掴んだはずの僕の未来」で終わってしまったのだ。

だからこそ主人公は叫ぶ「リライト」したいと。
それが叶わないと知りながらも。しかし主人公にとって「存在の証明が他にない」のだから。


ということで"リライト"について書いてみた。

余談なんだけど去年「僕だけがいない街」がアニメ化されて"Re:Re:"がオープニングテーマに抜擢された。もちろん""Re:Re: も大好きだしとても合ってたんだけど、"リライト"もわりかし合ってるよなと思う。

まぁ、そもそもハガレンの曲だしね。












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2017年1月15日日曜日

《後編》ポルノグラフィティ岡野昭仁という才能を褒めちぎる記事






昭仁さんを褒めちぎる記事後編である。

前編ではヴォーカル面について書いてきたが、後半では楽曲関連について書いていこうと思う。

ここまででもだいぶ長くなっているので体調にご注意ください。
ブックマークのようにたまに画像挟んでますので見ながら読んでもらえればと思います。



歌詞について




昭仁さんの歌詞はよく「ストレート」であると言われる。

確かに作詞を手掛けた曲を見ると、"Winding Road"や"ワンモアタイム"のように心情やメッセージをストレートに表現している曲が多い。それはヴォーカリストならではの特権であると思う。
そうすると"見つめている"が深刻なことになってしまうがここでは問わないものとする


姉が2人いて女系の家だったため、女の醜態をたくさん見てきて女性に対してのロマンチシズムがなくなってしまい、超現実主義となったそうな。
晴一さんがロマンチストなのに対して、昭仁さんのそういった性格が歌詞にも表れてるのかもしれない。


信じるか信じないかはあなた次第。





一方でもう1つ違った歌詞の特徴もある。


それは"Mr.ジェロニモ"のような散文詞のような歌詞である。
これも違う意味での歌を歌うものとしての特権のようなものである。文脈の意味よりもリズムと言葉を優先させることでの「歌うこと」の気持ちよさを最大限活かした歌詞である。


そして何よりも"Human Being"や"東京ランドスケープ"、"ソーシャル ESCAPEみたいなシニカルな社会風刺は晴一さんのシニカルさとはまた違う視点であり、とても面白い。


それでいて"曖昧な人たち"のような暖かみのある曲も素晴らしい。個人的にはこの曲とても好きだ。「他にも〜」と書き始めたらキリがない。


晴一さんはどちらかというと言葉だけでも伝わるようにという書き方をするが、昭仁さんはそれにとらわれることがない。この2人のそれぞれのバランス感覚がポルノグラフィティの魅力の1つだろう。





昭仁さんの歌詞の凄さでもう1つ思い出したのが(いくつ思い出すんだ)「心情とマッチングしたとき」の楽曲の破壊力である。


失恋した人が聴く"夕陽と星空と僕"を聴くと破壊されるだろう。
幸せなカップルが"光のストーリー"を聴いたら胸を打たれるだろう。
そして大切な人を失った人が"ロスト"を涙なしに聴けないだろう。


これは言葉をメッセージとして直接訴えかけられるヴォーカリストの作詞曲の特権ともいえるだろう。他にも"カシオペアの後悔"や"バベルの塔"のようなファンタジックな歌詞もいいし、あぁ字数がいくらあっても足りない。









作曲




特に近年のポルノグラフィティにおいて昭仁さんの創った曲はとても重要なファクターとなっている。

ファンの中でも人気の高いシングル曲"今宵、月が見えずとも""2012Spark"のようなヒリヒリとしたような感覚のメロディは、現在のポルノグラフィティにとって大きな武器である。




それと同時に"ギフト"や"リンク"、最近の中では一番のヒットチューンとなった"オー!リバル"のような普遍的なポップスも作っていて、本間さんから離れた後のポルノグラフィティを支えている。


特にクレジットで作曲岡野昭仁、作詞新藤晴一という組み合わせを見るとワクワクするファンは多いんじゃないかな。


今でこそこれほど多彩な楽曲を作っているが、一時期(アルバム「WORLDILLIA」~シングル「音のない森」辺り)は本当に鬱な曲ばかり作っていてファンは心配していたものである。



好きなエピソード







書くことはたくさんあるのだが、いくら岡野さんが好きなファンでも、前後編読んできてそろそろ疲れてきただろう。

なので、最後に昭仁さんに纏わる好きなエピソードをいくつか。


・酔っぱらって「ふえるわかめ」を浴槽に入れたことがある、しかも入った

・女子高生に「あれ、ポルノの昭仁じゃない?」と気付かれて顔まで確認されたのに「違うと思う」と言われる


・ライヴ会場そばの本屋でファンが沢山いたはずなのに、普通に買い物してた


・ライヴのアンケートでファンから「昭仁さんは焼き鳥のぼんじりに似ている」と言われたことがある

※参照
【レポ】OPEN MUSIC CABINET in さいたまスーパーアリーナ(再掲)


・ズボンのチャックが開いてるのは当たり前、ライヴ中に股の部分が破けて晴一にガムテで直してもらう

※参照
【レポ】8th LIVE CIRCUIT OPEN MUSIC CABINET 横浜アリーナ day.2(再掲)


・マンガ好き。めちゃくちゃ明るく楽しい"ミュージック・アワー"のPV撮影中に『人間交差点』(暗いトーンの人間ドラマ)を読んでどよんとしていた





といった感じで書いてきたけど、やっぱりポルノはどちらも素晴らしく素敵なギフト(才能)を持った人たちだなぁと思う。

これからもポルノグラフィティを引っ張っていってくれる昭仁さんに期待しよう。

長々お読みいただきありがとうございました。













【関連記事】
【ショートストーリー】株式会社ポルノグラフィティ新入社員の岡野くん
歌詞における表現とは何か、日常を切り取る目線









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