2016年12月30日金曜日

近所の飲食店ほど行かないって持論を考えたら人生哲学に行き着いた






突然だが、あなたの自宅の近所には何があるだろうか。

コンビニ、飲食店、ディスカウントストアなど。

「家の最寄のコンビニは52km先です」

って人はすみません。今回はお呼びでないです。


僕の家の近所にもいくつかコンビニや飲食店があるのだが、今回は飲食店にスポットを当てたい。

テーマは「家の近くにある飲食店ほど行かない」である。



近いのに行かないココイチ問題



たとえば、僕の家の近くにCoCo一番屋があるのだが、今の家に引っ越してきた9歳から20年間、29歳に至るまで2回くらいしか行ったことない。
未だに実家暮らしなのは置いておいて欲しい。

別にカレーが嫌いだったり、ココイチに親を殺されたわけではない。

ココイチは外ではたまに食べる機会がある。たとえばつま恋でポルノのライヴがあったときにホテル周辺に飲食店がなくて友人と「掛川で餓死」というワードが頭を過ぎっていたときにあったココイチはまさに砂漠のオアシスであった。ホントは掛川のココイチなんだが。

しかし、近所にあるとトンと行かなくなってしまう。存在は知っている、日々当たり前のように通り過ぎるときに匂いで「あーカレーだな」ということは感じている。

でも「夕飯ココイチにしよう」という案が出たことがない。

なんかこれと似た気持ちあるなぁと考えた時に思い浮かんだのが、高尾山であった。










観光地に住む地元民はその観光地に興味がない



「観光地に住む地元民はその観光地に興味がない」という話を訊いたことがないだろうか。


世界有数の観光地の京都だけど、家から5分のところに清水寺があってもその住人はきっと清水寺に興味が持てないのだ。
むしろ毎日押し寄せる観光客にお土産やさんでもなければ鬱陶しいことこの上ないだろう。

僕は八王子に住んでいるけど高尾山に対して観光地だということも、素敵な場所だとも思ったことがあまりない。
それは小さい頃に遠足で行った場所だったり、わざわざ遠くから来る場所か?と思ってしまうからである。

でも行ったら行ったでビアガーデンで「ビール美味え!」と言ってるが。

まさに「観光地に住む地元民はその観光地に興味がない」の例と挙げられる。

こういうことを考えると、よく「家の近所に○○出来たらいいよねぇ」って話をするけど、いざ出来てしまうとあんまり行かなくなってしまいそうな気がする。



人間は近くの幸せを見落として生きている




そう、人間は近くにあるものこそその存在を気にかけなくなってしまうのだ。

上手くいっていない夫婦関係とかはそういうこともあるんじゃないか。

だからこそ近所にある高尾山やココイチに見向きもしなくなってしまう。

これではいけないではないか。

本当に大切な人はいつもそばにあるのに気付かないのだ。

綺麗なバラを見ながら足元の四葉のクローバーを踏み潰しているのだ。

近所のココイチを思っていた僕は思わず人生で大切なものを得ることができた。

辺りを見渡してそんな幸せを取りこぼさないように生きていこう。

でもココイチには行かない。


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